Sleep tight

ステエションズ vo,gt

ぜんぶ置いてゆく

安っぽいメロンアイスの蓋のいろを未だ覚えている。朝四時の磯丸水産は多分わたしたち以外誰も居なかった。クリアできるまでコンティニューしたホラーゲーム。たぶん言い出せなかったのかも知れない、解散二十分前に話してくれた大事なお話し。愛しい温度だけがこもった瞳にうつるひかり。なんかあってもなくてもいつでも連絡してきてね、のLINE。ほんの少し先の遊ぶやくそく。今日は何が食べたいか聞いてくれるひとは最近ほぼわたしより早起きで、常に回っている換気扇の音が変に心地良かった。やさしいひとがわたしのことをやさしいねと言ってくれる。ぴんと来ないけどわたしが思うやさしいひとがそう言っているのだからそうなのかなあ、と思う。西加奈子さんの「うつくしい人」の"私は誰かの美しい人だ。私が誰かを、美しいと思っている限り。"という一文を思い出す。

年々高くなる波のしずめかたが分からない。堂々と他責にできる自信も無くずっと後味が悪い。伝えることが下手すぎて、ひとに伝えたいことがあるときは何行も何行もノートにいまの気持ちや伝える順番を書いてからじゃないと話せない。でも伝え続けなければ何も変わらない。虚空に呼びかけ続けているような感覚がつづく。跳ね返りのない壁のようである。無自覚な共感も、明らかに軽視した態度も、わたしを削いだ。教室の端と端くらいの距離だった黒い靄はもうふたつ隣りの席まで侵食している。

もうかなり前になるけれど、ある人にわたしの人生すべてを助けてもらったことがある。今なら全部おかしかったことが分かるが、そのときのわたしはおかしいと分かりながらも恐怖で離れることができなかった。誰にも助けを求めることが出来ず、色んな間違いを犯していちばん大事な人を傷付けた挙句、最後の最後、どうにもならなくなって初めてすべてを話して助けてもらった。あのとき助けて貰えなかったら未だにわたしは真っ暗闇に居たかもしれないと思うとぞっとする。ひとりじゃ何もできなかった。気付くことすら出来なかったかもしれない。話せるうちに話せるひとに話をすること。その件以来ひとに相談をしたり自分の気持ちを聞いてもらうことが増えた。聞くことも同じくらい増えた。その度皆あたたかくてやさしいなあと思う。何気なく宙に浮かべたであろう一言に、行動に、どれだけすくわれただろう。もらったやさしさがわたしの力になって温度になって歌う瞬間すべて放たれる。うたを歌うときはすいすい泳ぐことが出来る。ほんとうを知れない、知れなくてもわたしは歌うことしか無いと自分の歌うすがたを見返して思った。どんな時もわたしは歌をうたう。うたえなくなってもたぶん歌う。だから全部置いてゆく。これまでのわたし全部を置いてゆく。今年のやりたいことリストを書いているとき、わたしはわたしが生き生きとやりたいことを書けていてうれしかった。わたし自身がわたしの未来に期待できているのだ。わたしはわたしを生き延ばす。愛は目に見えないけれど、自分にも似た愛があればちゃんと見つけることが出来る。

1/17、梅田シャングリラ。どこに居ても音楽は鳴る。わたしはわたしの為に歌う。もしあなたにも受け取ってもらえたならとても嬉しい。今からでも間に合う。ぜんぶ置いてゆくよ。

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2023.4.29

日々をとりこぼしたくなくて、新しい年になってから毎日アプリで三行日記を書いている。三行と書いているけれど一行のときもあれば百行の日もある。一週間分を思い出しながら纏めて書くときもある。ゆるいけれど取り敢えず四ヶ月間続いていて、見返すたびに苦くもうれしくもなる記憶たちを束ねていることがすこし嬉しい。自分にとってマイナスなことは書かなくてもいいのに無意識的に書いてしまっているから、見るときの状態によっては心が少しだけ痛くなる。生きているなあと実感する。

今日はわたしの思い違いで予期せぬ一日休みになった。演ることに身体も精神も遣い切ってしまうのか、ライブの次の日は幾らでも寝れてしまう。何時間寝たのか分からなくなってから起きる。白湯を飲んでAmazonプライムを開く。三十時間後に配信終了になる映画の欄に観てみたい作品があったので観る。さいきん体調を崩して何十時間も布団に居る時間があったのだが、身体が元気なときに楽しむ休日はこんなにも有意義なのか。この世界にわたしと映画しか存在していないような気がした。時間という概念をすっかり忘れた、本当にたのしい休日だった。

見ず知らずのひとだけをフォローしているInstagramのアカウントがある。写真がメインのSNSではあるがキャプションをしっかり書くひとをよく見る。考えるひとの思想を覗く行為が好きだ。洗いざらいに心の内を吐き出す、いささか乱暴な文章を見るとうれしくなる。たいていそういう人は感受性が高くてかわいい。ぞっとするほどうつくしい写真を上げているひとも居て、保存する投稿が日に日に多くなっていく。YouTubeInstagram、ともだちが作った音楽、ひとに勧めてもらった音楽、素晴らしい映像、小説、誰かの文章やブログ、写真、などを見ているとうずうずする。何処に居ても作り手に回りたいじぶんを認識する。なにかを生み出したいとおもう。眺めているだけで居るには有り余る。突拍子も無いことを始めてしまうような気がしているけれど、どうせならやりたいことはやってしまおうと思う。芸術が好きだ。

2023.1.5

十二月は一週にいっぺんは更新するぞ!と思っていたのに全くもって達成できずに年が明けた。明けましておめでとうございます。忙しいことは有り難いけれど単にわたしの時間の遣い方の問題かも知れなくて。どうしよう。アクセス解析を見るに年が明けてから誰かがちょくちょくここを訪れて下さっているみたいです。本当ですか?信じられない。ありがとうございます。がっかりしていないですか?

年が明けてからなんと二回も初詣に行った。誘ってもらえるのってこんなにも嬉しいんだな。おみくじは一回目の結果を信じることにする。直感で、でも当たっている気がしたから。案外肩の力が入っていたこととか、自分が思う以上に重なってしまっていたということを、年始早々知った。悪いことではないけれど、むずかしい。自分のことは自分がいちばんわからないし、どうしても弱くて面倒くさい部分が顔どころかお腹の下辺りまで出てきている気がする。カメラのピントと同じで、近づきすぎても離れすぎても駄目なんだなと思う。ひとりなら平気だったのかも知れないけれど、在る痛みでもある。

脚の生傷は治っては増え、治っては増えを繰り返している。くちびるに見たことのない怪我?ができていた。もしかしたら去年のクリスマス辺りから乱れに乱れた食生活のせいかもしれない、十中八九そうであろうと踏んでいるのでとりあえずは断酒することにした。いつもYouTubeで沢山お酒を飲む女のひとの動画をよく観ているので、暫くはそうして過ごそう。今年の抱負というよりは密かな目標がことしは何個かあって、ひとつ挙げると、去年に引き続きたくさん笑って泣いて悩んで、たまには怒って、豊かに過ごすこと。怒りの感情はわたしの中である意味いちばん大きな感情だと思う。バンドの中のわたしも、わたしというひとりの人間としても、やわらかく尖った針のように生きたい!よければ、末永く。今年もよろしくお願いします。

2022.12.13

太陽みたいなひとがすごく好きだ。月のようなひともすごく好きだ。ハナレグミ的表現になってしまうのだが、わたしの心の真ん中を射止めることにこれ程ドストライクな表現が他に無いので引用させて頂くと、真昼の月のようなひとがものすごく好きだ。よわいままつよく在ろうとするひとが好きだ。口以外の全てで好きを語ってしまっているひとのことも好きだ。でもたまには口から出るそのひと自身の言葉が聞きたいよね。わたしの好きなひとたちはみんなそれぞれにちょっとひねくれていて可愛い。まったく器用じゃなくて可愛い。素直じゃなくて可愛い。毎度言っている通り素直さは大事なのだけど、ごく稀に素直では無いのにしっかりと伝わる何かが感じられるとき、愛おしいなあと思う。心の奥底がココアみたいにほこほこする感覚。あたたかさそのものを感じたときにもっともっとそのひとを知りたくなる。大半のひとが皆そうだろうけど、そういうひとたちの笑った顔が好きだ。この前いつもお世話になっている女の子と飲みに行ったとき、うまれたての赤ちゃんを見た瞬間のようなわらいごえが漏れてしまって吃驚した。可愛すぎてたまらなかった!いま自分が置かれている状況、例えばつらいことやかなしいことがあったとして、それでもそのひとのわらう顔を見るとつられて笑顔になってしまうことって、訳が分からないくらいにしあわせだ。ひとは鏡、という言葉がある通りよいひとばかりを好きになることができるわたしもよいひとなのかも知れないな。こういうことを言うとメンバーにはつめたくあしらわれるのでここに書くだけにしておく!一週に一回の更新が滞ってしまっているけれど実は隙間隙間でちょくちょく書いていて、なので文章が溜まるのが遅いだけなんだ。アクセス数が去年よりものすごく伸びていてうれし恥ずかしい。ゆっくりですがたくさん書いているので良かったら暇なときに読んでね。いつもありがとう。

昨日念願のスイーツパラダイスに行った。久しぶりに気持ち悪くなるまでケーキを食べたらすごく気持ち良くて。飲み過ぎたあとに似た臓器の気持ち悪さは正直かなりあったのだが反比例で心は晴れやかになった。こころの栄養は大事。夜になっても全くお腹が空かなくて脂質の腹持ちを実感する。学生の頃は入店後即ケーキをお皿いっぱいに取っていたのに、今回は先ず汁物、サラダ、それからパスタ…と段階を踏めるようになっていた。成長! あんなに食べたのに次の日コンビニでスイーツを見たときに美味しそうと思えてしまうじぶんがちょっと怖かった。小さなことでも自分のやってみたいことをしっかり叶えていくこと、死ぬまでやり続けたいな。

2022.12.1

購読していたブログが無くなっていた。いつもうるさいくらいに元気な女の子の泣きそうな顔をはじめて見た。記したいことが大小関係なく次から次へと浮かぶのはしあわせなことで、そのスピードにわたしはどうしても追いつけない。前に楽しいと思えたことが今はあまり楽しく感じられないこと。人対人の関係に接した月日の長さはあまり意味をもたないこと。発しないというそれだけのことで全てがこわれてしまうかもしれないこと。見ないふりをして蓋をしたものは気付いたときにはそらすことの出来ない大きな大きな壁になってしまうこと。目を覚まさないのにわたしを知っている手。眠るふりをして泣いた日。獰猛な熱を捉えたときにどうしても高ぶる癖が年々きれいに増している。ただ涙脆いだけかも知れないけれど。今年はわたしが生きてきた二十余年の中で最も速く感じた一年だった。去年の秋頃からのことをわたしはよく覚えていて、何ならちょっと前くらいのことのようなそのくらい近い感覚が一年経つ今も残っている。ある意味青春で、最低で、一瞬を閉じ込めたみたいな冬だった。寒かった気もするけどそれはあまり覚えていない。スヌードをしていたから寒かったんだろうな。 

久しぶりに文を書いたらよくわからないことばかり書いてしまったので十二月一日のことを書く。歌う魚にて弾き語りのライブだった。ひとりで歌うことを納める日。東心斎橋はちょっと通るのに勇気が要るのでいつも椎名林檎かAge FactoryかGEZANを聴いている。強い曲を聴くとそのテンポに合わせてずんずん歩くことが出来るから。歌う魚スタッフのマユカさんはわたしがまたひとりで歌いはじめるきっかけになったひとで、最近仲良くしてもらっている。とんでもない量のお酒を飲むのですごいなあと思う。バンドを始めて世界が広がったような、目の届く範囲が大きくなったような。前よりいろんな人と話が出来るようになった。まわりの人が優しいだけなのだけどわたしも少しずつ変化できていたらいいなと思う。対バンしたいなと思っていた人や会ってみたかった人のステージを観ることが出来て、話をすることが出来てほんとうによかった!好きだなと感じたときに好きだと発信することは誇張無しで本気でひとを生かしてくれるから、わたしもそんな人になりたい。沢山のうれしい言葉を貰って心があたたかくなった。うれしい。うれしいと感じることをわたしも誰かにしたい。相手に届くように真っ直ぐ伝えることは本当に大事なことだ。

一日に書き始めたのに気づいたらもう一週間経っている!書くことでそのときのこころを閉じ込めることが出来てうれしい。その日はほこほこした気持ちで家に帰ったあとレモンサワーをあけた。東京で貰って帰ってきたまま飲んでいなかったやつ。遠征の話もまた書きたい。結局は生活をおもしろがっていたいし柔らかく居たいし、会いたいひとに会いたいし、振り返ったときのわたしはいつもけらけら笑っていて欲しい。笑顔の方が似合うよって言ってくれたひとのやさしい顔をずうっと忘れないでいたい。考え込み過ぎずにシンプルに、素直に居れることはむずかしいけどたぶん単純なことだ。それがむずかしくなるのが大人になってしまう、と表現されることのひとつなのかも知れない。取り敢えず年内は週一で文章を書きたい。たのしいので。纏まりがないのに読んでくれた誰かに沢山の愛を!どうかぐっすり眠ってね。

2022.09.21

ふわっとしているようでしていない、死はいつだっておとなり。

"TOKYO CALLING 2022"の前日。ちゃーりーと電話をしながら重たい機材を引いて梅田を闊歩していた。雨は降っていない。最寄り駅周辺はわたしが駅についた途端に暴風と雨で白く霞んだ。ラッキー、と思ったが家から出た瞬間すべてがおしまいになったひとも居るんだろうな、と思ってちょっとだけ喜ぶのをやめた。台風が来ていることは知っていたがそんなに大型だとは知らなかったわたしは傘だけ持って行っておくか、ぐらいの気持ちでいたのだ。

レンタカーで、下道だけで東京まで行く。わたしは免許を持っていないので世の中の運転ができるひと全員を大尊敬している。一歩間違えれば自分も同乗者も全く関係の無い他人も死なせてしまえる車というものはすごい。怖い。やばい。立派な兵器である。晴れているならまだしも台風が、しかも超大型のものが近づいている夜だ。高速道路ではないが高速道路のような道を走っているとき、ワイパーが全力で稼働しているにも関わらず殆ど前が見えない暴風雨に遭った。久しぶりに鮮やかな生命の危険を感じている傍ら、隣のちゃーりーは涼しい顔で運転を続けている。更に恐怖が加速する。後部座席の虎太朗が速度落とし、と言っているにも関わらず全くスピードが落ちない。今スリップしたら間違いなく死ぬ。明日のライブどうしよう。機材のローンもまだ終わっていない。納期を延ばして貰っている仕事、まだ読めていない本、ずっとずっと集まりたいと言っていたのがやっと叶えられそうな飲み会。すべてが私の頭の中に集結する。巨大な水溜まりの上を隣のトラックが追い越し車線で通過していき、跳ねた水でフロントガラス全てが覆われ視界がゼロになったときは流石に大声を上げた。しかも二回ぐらいあった。死ぬ。本当に死ぬ!当然眠気など来るはずもなく助手席で終始心臓をばくばくさせていたが、どうにか天候が落ち着きワイパーが役目を終えたときやっと安堵することが出来た。本当に怖かった。運転していたちゃーりーが一番怖いとは思うのだけれど。

そんなこんなでわたしたちは14時間ぐらいかけて東京に到着し、下北沢のスタジオでリハーサルを終え、無事に本番のTOKYO CALLINGに出演することが出来たのだ。行きも帰りも車内で一番眠っていたのはわたしだったはずなのだが(行きはともかく帰りは運転手を寝かさない為に起きていようと思っていたのに本当に申し訳なかった)、家に帰ってからとその次の日はほぼほぼ眠って過ごした。生きて帰って来れて本当に良かった。台風が過ぎたあとはそれまであった夏がはじめから存在しなかったかのような涼しさになっていて嬉しい半面すこし寂しい。寒くなってくると思い出す記憶が沢山あることに驚く。それもこれもいま生きているから味わえる感情だ。生きていてよかった!今回は日帰りだったので東京に行った実感がほぼ無いのだが、行ってみたい喫茶店や居酒屋を密かにメモしているので年内にいくつか行けたらいいなと思う。皆さんも運転には充分に気を付けて。台風の日はもっともっと気を付けて、というかなるべく運転しないで下さい!

2022.08.06

起床。何となくSNSを開くと三時間が経つ。黙祷さえ出来なかったからSafariを開いて検索をかけた。まだ百年も経っていないんだ。身の回りに起こる小さな対立すら終わらせられないのに、何故繰り返さないと言えるのか。きみとの約束ひとつさえ守れないのに、どうしてそんな大それたことを思えるのか。

肉をひとつひとつ確かめるように洗って風呂につかる。真昼間にながく浴槽につかることはこころの洗濯というか自分の中の何かが浄化されるような気がする。肌をすべる泡が陽にあたって虹色に光った。蛍光灯の明かりの下じゃわからない、自然光の何とも言えないコントラスト。鏡にうつる自分の身体を見てきれいだと思う。一日一日確実に老いゆく身体。急に失ってしまうかもしれない身体。

眠たくなってしまったけれど、きちんと仕事をした。どこからどこまでを仕事と表記していいのかわからない。仕事らしいけれど仕事だと思わないこともある。作業をしていると大体遅くなってしまうので夜は軽めに済まるつもりだったのだが、割としっかり食べた。わたしの好きなひとというのは、わたしが居なくても幸せに生きていくひとだと思う。勝手に幸せで居てくれるひとだと思う。そういう人の誰にも見せない色んなことを自分だけが知っていたいのだと思う。ひとりとひとり、で居れることに安心する。ふたつにはなれないから。