Sleep tight

ステエションズ vo,gt

2020.09.06

照らされた水の粒がタイルを打つ。きらきらと光りながら排水溝へと流れてゆく湯を見て誰かと行った海の波打ち際を思い出した。光はわたしの目を奪ってゆく。落ちるシャンプーの泡がしゃぼん玉のようだ。侵略した波がわたしの足場を奪うかのように引く。ぞぞぞと音を立てながら砂があしのかたちに沿う、あの奇妙さが好きだった。ぬるい海水が漂うその下の土はぞっとするほど冷たくて、子どものころのわたしはいつも土の中に足を埋めてその冷たさに安堵していたような気がする。家族旅行で海に行ったとき、父とテトラポッドまで泳いだ。小学生だったわたしは浮き輪に付いている紐を父に引っ張って貰っていた。僅かに浮いた爪先が完全につかなくなった瞬間、きらきらと輝いていた波が急に恐ろしくなったのを覚えている。父が紐を引っ張る手を離したり、少しでもわたしの傍を離れて泳ぐ度に死んでしまうのではないかと猛烈に不安になった。今わたしの身体を伝う湯はわたしを殺せるのだ。数分でシャワーを終える。髪が短くなってから風呂の時間が短縮され過ぎている気がする。伸びて量が多くなったので切りに行きたい。湯気が太陽の光に溶けていく。鏡に頬を赤くした自分が写っていて思わず目を逸らした。

扇風機の音と近所の犬の吠える声だけが聞こえている。まるで元から存在していなかったように蝉はぱたんと姿を消した。八月が終わる前からもう居なくなっていた気がする。そう言えば今年はツクツクボウシの鳴き声を聞いていない。蝉の視力は0.01ほどらしく毎年家の壁にぶち当たりながら飛ぶのを何度も見るのはそういうことか、と納得がいった。もし人間が地上では一週間ほどしか生きられず、空の青も雲の白も見えないいきものだったとしたら、きっと言葉は話せないだろうし政治も恋愛も音楽も学力も存在しなかったのだろう。この世のすべて、何も知らないでいることはしあわせなのだろうか。わたしはしあわせを知っているから、蝉のことを不憫に思ってしまう。