Sleep tight

ステエションズ vo,gt

2021.10.04

涙が出るくらいに綺麗、という体験を初めてした。人生で初めて自分の足で向かい、ひとりきりで行った海は十月なのにとても暑くて、砂浜で飲むビールが最高に美味しかった。本当は八月、遅くても九月中には行きたかったのに行けないままで、それでも今更海に向かったのには理由がある。わたしは、果てが見えないくらい大きいものを自分の足で見に行きたくて、生きていく中で発生するバグがほんの些細なことだと思えてしまうくらい、圧倒されたかったのだ。

誰にも会わないのにいつもと違う化粧をして、着る機会があまり無かったワンピースを着た。秋だが昼間の気温は三十一度。長袖だと汗だくになる。日が沈むと水辺は冷えるから、と思いユニクロのシャツと海に行くときは絶対に持っていくと決めていたエッセイ「世界は救えないけど豚の角煮は作れる」を鞄に入れた。家に鍵をかけて自転車を漕ぐ。いつもと変わらない工程なのにすこしこころが踊る。道中、車窓から見える海でさえ目を奪われてしまった。これから砂浜に足を取られたり、潮の匂いをかいだり、波の音をききながら貝殻の破片を集めたりできると思うともう涙が出そうになる。知らないところにひとりで行くということは楽しい。もっと前からしていたら良かったと思うくらいだ。そう思ってはいるものの海水浴場に成人女性ひとりで行くのは変なのだろうか、と思いながら目的地のホームへ降りた。同じ車両にいたカップルが窓際に立っていたので降りるのかな、と思っていたが降りないらしい。しなくても良いのに安堵する。外食やカラオケにひとりで行くことはこれまで何度もあったが、海は初めてのことなのでびびるのも仕方ない。

改札を抜けて、右手を見た瞬間思わず声が出た。殆ど雲のない晴天、太陽、潮風、波音、すべてに感動した。ひとしきり眺めたあと、コンビニでビールと麦茶、揚げ鶏を買って砂浜へ向かう。わたしに必要なことはひとりきりで海に行くことだった。ひとりで来なければ意味が無かった。暗くなる前に追加でもう二本酒を買う。波の模様や海の向こう、空のグラデーションは日が沈むにつれ色濃くなり、太陽のひかりに照らされていた海面が深い青に染まる。その光景は綺麗という言葉では言い表せられないくらい綺麗で、動画や写真を沢山撮った。波音を録音したりもした。駅前でスケボーを練習する高校生らしき男の子たちや、制服のまま座り込んでいるカップルも皆影絵のようになっている。一番星が光り、遠くで観覧車のライトが点いた。こうして海を見たときに思い出すひとたちがわたしには沢山居るのだ。リーガルリリーのハンシーの歌詞にもあるが、無意識下のしあわせは本当に無意識に守っているのだと思う。愛しているし、愛していた。手放して苦しむより守るために苦しみたいと思う。全てを理解することも受け容れることも出来ないし、出来ないということは決して悪いことではない。わたしはずっとわたしのままで、行き詰まったらまたひとりで海が見たい。

エッセイ「世界は救えないけど豚の角煮は作れる」の中に「カエル見に行かへん?」という話がある。著者、にゃんたこは虫が好きな子どもだったが、転校生のゆうちゃんがカエルに対して取った行動がトラウマとなり、それ以来虫で遊ぶことを辞めたという話だ。文中に「ある種の人間にとって、自分が他人につけられた傷よりも、自分が他人につけてしまった、もしくは、つけてしまうことになっていたであろう傷のほうが遥かに治りづらく、化膿しやすい傷なのではないかと。」とある。その「ある種」にわたしも該当するなあ、と思う。自分でぐしゃぐしゃにしてしまった花弁を、一生わすれずに向き合い生きつづけることしかわたしには出来ないのだ。わたしの最愛はよい眠りを願うことで、罪も、間違いも、すべてを抱えて居たいと思う。

平気な訳が無かった。強くも器用でもなかった。埋めることさえ出来なかった。帰りの電車ですこし泣いた。微かに潮の匂いがした。