Sleep tight

ステエションズ vo,gt

2022.07.21

こんにちは、みなさん。お元気ですか?むかしの文章を読み返すと変な真面目さの本領を発揮していてとてもにがい気持ちになります。皆はうまくかわせることを深くまで考え込んでしまう癖はこれまで生きてきた中で密かにしていたわるい予想を遥かに上回るわるいことを経験するうちに自然と身に付いてしまったのかもしれない。自衛からくるものでわるいことではないけれど、もうすこしとおくから物事をみれるようになりたいです。とおくから。

あたらしいことがはじまっています。半年前のわたしが想像もしていなかったことが今は起こっていて、その中にははじめて挑戦することもあります。正直こわいなあとも思うけれど本当に有り難くて、じぶんが生きている実感も普段よりいっそう感じてたのしい。歌うことはわたし自身を潤わせることで、色んなひとに聴いてもらいたいし欲を言えば好きになってもらいたいな!とおもう。うまくいけばいいな。うまくいかなくても、さいごに笑えていればいいな。

いちばん好きな季節の真ん中に居るのに色んなことに追われてしっかりと夏をみれていなかった。気を抜くとこうなってしまう。さいきん改めて気付いたのだけれど〇〇するべき!みたいな固定観念は捨ててしまってもいい。寧ろ捨ててから分かること、捨てて得たもののほうが大事かも知れない。お腹が空いていないなら無理に食べなくていいし、眠れなかったら夜起きていてもいい。素直にじぶんのこえを聞くこと、案外できていなかったんだなあとおもう。でも生きていくことってそれを全て叶えていたらむずかしいかもしれないし、まだまだわたしには大変におもえる。子どもで、未熟だ。知らないだけなのかな。

2022.06.03

書きたい!と思いながらなかなか書けないでいたらもう三ヶ月も経っていた。ちょっと忘れてしまっているものもあるけれど最近はとても楽しくて、あたらしい発見もたくさんあって、わたしが生きているという感じがする。

失くしたと思っていたものがふたつも出てきた。毎月レコーディングを始めた。追われる日々が続いたような気がしていたのはレコーディングの割合が大きいかもしれない。土砂降りの雨の中で写真を撮った。眠る時間がないくらい過密なスケジュールも余裕で楽しさが上回った。小学生ぶりにカチューシャを付けて、かわいい格好をして昔からの友達と一晩過ごした。四月の夜の海で騒いで派手にこけて、ばかみたいな大声でわらった。花見をするためにサブウェイを買った、桜はほぼ散っていたけどそれでも楽しかった。額から滴る汗を眼の真ん中で捉えたとき、目の前で歌う透明を人間だとはじめて認識したこと。さっきまであった感覚が急に失われることは本当に本当にこわいこと。人生ではじめてネモフィラ祭りに行ったときの第一声が「海!」だったこと。日々のなかに色んなことがありすぎて飽きない。そこでわらっているわたしは自分自身なのに何かたのしそうだなと他人事のように思う。さっき挙げたことは三月から五月の初めまでのことをほんのすこし書いただけで実際はまだまだ色々なことがある。二十歳を超えてからも人生ではじめて感じたり味わうことがずっとあって、それはわたし自体が感じたり味わう感性をいつまでも持っているからこそのものだ。こころがしあわせだと生きることはもっと楽しくなることを実感した。いつもいつでもご機嫌に、すこやかに生きることは実際難しいけれどわたしはわたしの人生を隅から隅まで味わい尽くしたいのだ。

楽しいことも辛いことも悲しいことも、わりと忘れる。例外はあるけれどそれでも薄れていってしまうことは確かだからどんな形でも残したい、遺したいと思う。ひさしぶりの日記になってしまった!もし読んでくれた方がいるなら、ほんとうにありがとうございます。すこし恥ずかしい。色んなことがある、みんな言わないだけで。でも楽しさとか嬉しさだけではつまらないかも知れないし、自分がしあわせであることに気付けないのかもなと最近は思う。おもしろがって生きていたい。ほんとうのやさしさは気付けないって気付くことが、やさしく居続けることの一歩だ。たぶん!

2022.03.02

火をすこし弱める。冷蔵庫から出したての卵をゆっくりと湯に沈めると頭の部分がすこし飛び出した。水が足りなかったらしい。卵がお風呂に入っているみたいだ。お玉で上から湯をかける。殻をむきやすくするために入れたひびが拡がっていた。改めてゆで卵だけを作る(?)のは初めてだ。13分の待ち時間、ノルウェイの森を読む。ときどき出てくる曲名をAppleMusicで探して流す。忘れておきたくない文はページ数と一緒にメモをする。読書記録はしたことがなかったが気に入ったので続けることにした。まだまだ長く生きてきたとは言えない年齢でも20年以上ここで生活をしているわたしに人生初めてのことが今日既に2回も起こっているなんて、凄いことだ!珈琲と一緒にチョコクリームの入ったロールケーキを食べながら、ヘンリー・マンシーニの「Dear Heart」をわたしの最後の日にもかけて欲しいなと思った。痺れを切らして適当に切った前髪は何週間も前からこの長さだったかのように馴染んで、とても本が読みやすい。二段に分けて切ったのが良かったのかも知れない。ノルウェイの森はタイトル通りビートルズの曲名がよく出てくる。文中に出てきた中では「ミッシェル」と「ペニー・レイン」が特に好きだ。これは恋愛小説では無い、という声も多くあったがわたしは至極純粋な恋愛小説だと思う。三月は多くの活字にふれたい。

2022.02.22

2222年2月22日22時22分22秒にはわたしも友だちも好きなアーティストもいますれ違ったひとたちもみんな死んでいるのだと思うと信じられない気持ちになる。みんないつか死んでしまうけれど2222年もツイッターでは猫耳を付けた女の子の自撮りが沢山上がるんだろうか。そもそもまだひとが居るのかな。たまに自分が死んだあとのことを考える。死んだあとも音源や映像にわたしが生き続けるとしたら、出来るだけ永く永く残るものを創りたいなと思う。昔のミュージシャン達は令和という時代にAppleMusicで彼ら彼女らの音楽をわたしたちが聴いていることをちゃんと知れているのかな。こんな幸せなことを知らないでいるのは不憫過ぎるよ。

空いた電車でよく知る町に行く。ぼうっと車窓を見ているとぜんぶ玩具のように見える。そしてじぶんもその景色を構成するいちぶになっている。改札で別れを惜しむカップルにとってもくたびれたスーツを着て信号待ちのあいだに発泡酒を飲んでいるおじさんにとっても祝日前に飲み過ぎた女の子たちにとっても、見る景色によってはわたしも誰かのエキストラなんだなあ。ひとりひとりがひとつの国で、ひとりとひとりが一緒に居続けるにはひとりとひとり同士で生きていかなくてはいけないのかも。パイナップル味のお酒を流し込んで眠りについた。

2022.01.28

殺してやりたいと思うことがある。もちろんほんとうにひとを殺したい訳ではない。誰しにもある衝動というかたぶん若さ特有の何か。うるせえ黙れ!みたいな。全員殺したい、ぶっ刺したい、という気持ちを心臓の隅っこの奥の奥の方に内在させたまま何年間も生きている。もしもわたしがこの先四十歳や五十歳を迎えられたとしても、いまのわたしの気持ちを否定したり恥ずかしがったりはしていないような気がするけれどどうなんだろう!分からない。何十年後かにはじぶんから消えてしまう気持ちなのかもしれないと思うと不思議だ。たぶんこれまでも知らず知らずのうちに色んなものを手放している。ぜんぶ残しておきたい。無限に思える未来は急に真顔になったのではなく、最初から真顔のままだ。またねではなくさようならを言いたいのに、いざ言う瞬間になるともう会えない気がして言い淀む。魔法がもしあるとするならそれは壺の底にこびりつくものだと思う。誰にもなりたくない。誰にも何にもならない。

2022.1.20

わたしの見送りをするために外に出た祖母の第一声は「月!きれい!!」だった。雲のない快晴に白くひかっている満月。前にも何かの帰り道、夕方に見た虹を祖母がいちばんに見つけて喜んでいたことがあった。わたしは上を見ているひとって意外と居ないなと考えたことがこれまでに沢山あって、それは祖母から受け継いだものなのかもと思うと涙が出そうになった。離れるのがさみしかったのもあるけれど。何歳になっても世界のうつくしさに気づくことが出来るひとが好きだなと思う。世界のうつくしさなどあまり興味がないと考えたことのあるひとのことも、同じように好きだなと思う。車の中はとてもあたたかくて、スヌードを外した。

2022.1.13

明けましておめでとうございます。もう年が明けて十三日も経っていることに驚く。新年の挨拶も四日くらいまでで、その後に今年はじめて会った方々にはいつも通りお疲れ様です〜と言っている気がする。何となく年末年始は休んだほうがいいなあと思った。でも休まないのも意外と楽しかった。年明け感が無いなあと思っていたけれど元旦の夜にはお雑煮を食べたし、地元の友だちと初詣に行った。ひさしぶりに会ってもひさしぶりに会った感じがしない人間はそうそう居るものじゃ無い。たぶんわたしが何処に引っ越しても、彼女の仕事が忙しくなっても定期的に会ってくれるんじゃないかなとおもう。そう思い上がれることはとてもしあわせなことだ。おみくじは大吉だった。神様とデートをしてから、ファミマに寄って彼女と酒を飲んだ。寒空の下、三日後にはまた会う約束をしているのに話しすぎてしまった。

会いたくないひとと会わない。じぶんの不可抗力を受け流す。???kg落とす。なるべく後回しにしない。大切なひとを大切にする。本を読む。筋トレを続ける。察してもらうではなく伝える。ありがとうとごめんねは大袈裟なくらいに。朗らかに生きる。ことしの目標です。